おせち 2020
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人々が米を作り農業を始めるようになった弥生時代、中国から「節」を季節の変わり目とする暦ももたらされ、四季折々に収穫したものを神様に感謝しお供えする慣習が生まれました。
神様にお供えした後、お下がりをいただくのを直会(なおらい)といい、直会により神様の持つ力をいただくと考えられていました。そして、1年の節目節目に神様に感謝のお供えをし、そのお下がり(直会)をいただく日のことを「お節供(おせちく)」と呼ぶようになりました。
弥生時代には風習であった「お節供」が、平安時代には宮中行事として暦の節目の日である節日に執り行われるようになりました。この宮中行事は、邪気を祓い不老長寿を願う儀式「節会(せちえ)」と呼ばれ、「お節供(おせちく)料理」と呼ばれる祝い料理が振る舞われました。
特に重要視されていたのは1月1日の元日、1月7日の白馬(あおうま)、1月16日の踏歌(とうか)、5月5日の端午(たんご)、11月の豊明(とよのあかり)の五節句で、この日に開かれる節会を「五節会」、五節句のお祝い料理すべてが「お節供」と呼ばれていました。
江戸時代になると幕府の公式行事として1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句の五節句が祝日として定められ、庶民の間にも「お節供」が民間行事として広まったことで、1年に5回ある節句で料理が振る舞われるようになっていきました。その後、五節句のうち新年を迎える人日の節句の料理が正月料理として定着していきました。
一年の豊作を祈って食べる料理も、野菜や山海の幸を使った豪華なご馳走へと変化ししました。さらに江戸時代後期になると、現代のように料理一つひとつに意味が込められ、新年を祝うために食べるものとなりました。同時に、大みそかにおせち料理を作り、お正月に家族そろって食べる風習も生まれました。
また、おせちには武士の家でおめでたい時に食べる料理「祝い膳」の要素も加えられています。祝い膳は、江戸末期より「めでたさを重ねる」という意味の縁起をかつぎ、重箱に詰めて重ねて出されていました。
このように、季節の変わり目に神様に収穫を感謝する「節供」がおせち料理の起源です。
平安時代に「節会」として宮中行事となり、「お節供」が振る舞われたのがおせちの原型といえます。そして江戸時代に大衆に広まり、五節句のうち正月料理がおせちとして位置づけられ、年の初めのご馳走であるお正月料理だけが「おせち」と呼ばれるようになりました。















